鈴木大拙に学ぶ人間学

2020/08/06

 今月の特集は、鈴木大拙に学ぶ人間学である。
 鈴木大拙は明治三(1870)年、父・良準、母・増の間に、四男一女の四男として生まれた。六歳のときに父が亡くなり、生活は貧窮した。また、二十歳のときに母が亡くなる。このころより、学業よりも禅に熱中し、二十四歳に、釈宗演より大拙の号を授かり、二十六歳の十二月に見性(悟りを得ること)した。

 「自由だ、創造的だ、随所に主となるのだというだけでは、何にもならぬ。人間には、他の生物と違って大悲というものがなくてはならぬ。」『新編 東洋的な見方』
 最初に読んだ時に、「大悲」ということが何なのか、理解できなかった。「大悲」という言葉を少しでも理解できるように特集を読み進めた。
 
 特集のなかで心に響いた言葉を書き残しておく。 
 西村惠信氏と岡村美穂子氏との対談から。大拙の究極の教えは「即今」だと語る。「一瞬一瞬が新たなりで、過去も未来もすべてがこの一瞬の中にある。」
 大拙は、大乗仏教で言う「大悲大慈」を最後まで求め続けた方と言える。世界の国々が自由で安らいだ国であることをいつも願っていた。そのために国家と国家というような相対的な価値観を超えた次元に人々を導いていた。
 第四高等中学校を一家の破産により中退したのち、小学校助手の仕事に就いていたときの友に宛てた手紙に、「千仭ノ山モ始メハ一簣ノ土ヨリ成リ 万斛ノ海モ始メハ濫觴ノ水ヨリ成ルトカヤ 勉メ励ミテ倦タラズバ 或ハ成功ノ日ヲ見ルノ暁アルベキカ 兎ニモ角ニモ勉励ト忍耐トハ 不可欠的ノ成功ノ素ト申スベシ」とある。


 蓮沼直應氏と大熊玄氏との対談から。見性とは、平凡な日常生活の中で、いかにしていま生きている生命を捉えるかが大事だということを大拙は教えてくれます。大拙の言葉に、「われわれは皆、”生きることの芸術家”として生まれてきている」「文学や芸術の外に、人間の生活そのものが、詩となる。文字に出る詩だけでなく、われら人間の一挙一動がことごとく詩になり、芸術的に美しいものとなる」
 「大人物は何百人何千人と云ふ人がよって、する丈けの仕事を一人でして、其処に土を盛上げたとするならば、我々はホンの一片か二片の土を加へるやうなものである。しかし、加へないと云ふのではない、一片だけでも其処に盛って居るのである。従ってそれだけの力をのせて居る筈である」
 「衆生無辺誓願度」すべてのものを救っていこうという願いがなければ、迷いを断つ必要も、すべての教えを学ぶ必要も、悟りに至る必要もない。

 「大悲」とは、すべての人を救いたいという願いではないかと考えた。そのためには、日常生活の一瞬一瞬に、ひとつでも社会のために尽くそうとする姿勢が必要である。不可能だと諦めずに、常に挑戦する姿勢が必要である。
 「ほんとうの祈りというものは、叶うても、叶わんでも、むしろ叶わんということを知りつつ、祈らずにおられんから祈るというのがほんとうの祈りで、祈るから叶うという相手に目的をおいて祈るのでは、ほんとうの祈りではない」
 新型コロナという見えないものとの戦いで未曾有な社会情勢となっている。凡人の私ができることは何か。中小企業経営者の真の伴走者となり、この状況を乗り越えるためにお客様に尽くすことである。経営計画を立案することは、経営者が「最上を望み、最悪に備えた計画」をシュミレーションできる唯一の方法である。いまこそ、すべてのお客様の経営計画立案を支援していくという強い想いで取り組んでいきたい。

 及川浩次郎

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